ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相
石川啄木が
私の思ふには石川が最後に上京して朝日新聞在社時代の前後や、晩年の生活環境については石川の恩人であつた金田一京助氏が一番正確に知つてゐるはずで、同氏によつてその時代のことを書かれたものが、正確なものだと考へられるが、北海道時代、ことに釧路時代の石川のことについては全く知る人が少いやうに思ふのでそれをここで述べてみよう。
石川の歌集を
小奴といふのは釧路の芸者で、石川とは相思の仲であつたともいへよう。私は小奴に逢つたのは石川が釧路を去つて約一年後であつた。その動機といふのは、大正天皇が皇太子のころ北海道へ行啓されたことがあつた。その時私は、東京有楽社のグラフイツクを代表して御一行に
そこで我等
時は丁度灯ともしごろ、会場は○万楼の階上の大広間で支庁長始め、十数名の官民有志が出席して、釧路一流の
『支庁長さんの前にゐるのが小奴さんです。』
見ると小奴は今支庁長の前で、徳利を上げて酌をしてゐるところである。
『小奴とは君かい。』
と聞いてみた。すると
『ええ、わたしですが何故ですか。』
と不思議さうに私の顔をみる、私は
『君は石川啄木君を知つてゐるだらう。』
といふと小奴は
『石川さん?』と小声に云つて、ぽつと頻を染めながら伏目勝ちになつて
『どうしてそんなことをおききなさるのですか。』
『いいや、君のことは石川君からよく聞いてゐたものだから……』
『あら、あなたは東京のお方でせう、それにどうして石川さんを知つてらつしやるのですか。』
『私は、今は東京にゐるが一、二年前までは小樽や札幌にゐたからそんなことはよく知つてゐるよ。』
実は私は札幌で石川を始めて知つて、それから小樽の小樽日報へ一緒に入社したのであつた。小奴は
『あなたのお名前は何とおつしやいますか。』
と、不安さうな瞳をみはつて尋ねるのであつた。
『私は野口といつて石川君とは札幌からの懇意だもの。』
『まあ、あなたが野口さんでしたか、それでは石川さんから始終あなたのお噂を聞いてゐました。それにしても今石川さんは
小奴は石川が釧路を去つてからの後は石川のくはしい消息は全く知らないらしかつた。
『いまは東京にゐるが、君はそれを知らないのか。』
『ええ、東京へ行つてゐるといふことはうすうす聞いてゐましたが、東京の何処にゐらつしやるのかその後音信がないので存じません。』といふ。
さうしてゐる中に酒席は酣になつて、一同のかくし芸が始まる。小山氏の手品、坂本氏の詩吟等と主客共愉快になつて、大はしやぎにはしやいだ。私は小奴と石川のことを話し合つてゐたために、同行の某君は、けしからんけしからんといひながら傍へよつて来て、たうとう私と小奴との話をさへぎつてしまつた。そこで小奴はまた支庁長の方へ行つて三味線をひきだした。私も大分酔つて来て一行と共に出来ないかくし芸なぞしてはしやいだ。
やがて宴会が終つて芸者連は帰つてしまつた。私達も旅館へ引きあげようとして階段を下りて来ると、女中が一通の手紙を私に渡した。封筒には唯、野口様と書いただけで誰からの手紙ともわからなかつたが、開けてみると鉛筆の走り書きで、
『石川さんのお話もお伺ひしたうございますから、お帰りに私の家によつて下さい、人力車でいらつしやればすぐでございます。 小奴』
とあるのでその手紙が小奴からであることがわかつた。そこで私は帰りに小奴の家に寄つてみた。家は○万楼から四五丁位の処でその辺は花柳街で、小奴の家は格子戸のはまつた、下が三畳に六畳の二間、二階も一間位はあつたらしい、小じんまりした家であつたやうに記憶してゐる。
小奴は私の行くのを待つてゐたらしく
何でも小奴にはそのころ三つか四つぐらゐになる子供があつた。その子供の親は石川ではなく、小奴の前の旦那の子供であるといふことであつた。小奴の家庭は、小奴とその子供と箱屋と女中とをかねた五十ぐらゐの婆さんの三人暮しで、いふまでもなく小奴は自前の芸者として釧路でも姐さん株であつた。小奴の母親は幼少のころ亡くなつたが、
小奴は私に石川のことについて次のやうなことを話して聞かせた。
『石川さんが釧路へ来て間もなく、社(釧路新報社のこと)の遠藤決水さん達と一緒に逢つたのが、初めてで、それから始終石川さんとお逢ひしてゐましたが、初めの中は料理屋の勘定なども無理な工夫をして支払つてゐましたし、私も出来るだけお金の工面もしましたが、たうとう行きづまつて、はてはお座敦に行けばお客達から『石川石川』といつてからかはれお座敷の数もだんだん減つてどうすることも出来ないやうになつてしまつたのです。それに石川さんにはお母さんも奥さんも子供さんまであつて、お金に困りつつ小樽にゐるといふことを遠藤決水さんから聞かせられて、私は第一奥さんにすまないと思ひましたのでそれからは、心にもない不実な仕打をするやうになりました。それとしらない石川さんはその後私を大変恨むやうになりました。そこへまた社の社長(釧路新報の社長白石義郎氏のこと)さんも石川さんに意見をするやうになつたので、それやこれやで石川さんは釧路をたつ気になつたのでせう。
けれどもたつといつたとこで、一文の金の融通さへも出来ないまでに行きづまつてしまつた石川さんは、丁度その春の解氷期をまつて、岩手県の宮古浜へ材木を積んで行く帆前船に乗つて、大きな声ではいはれませんがこつそりと夜だちしてしまつたのです。
さあ石川さんが夜だちをしたとなると勘定の滞つてゐる料理ややそばやが皆私の方へ催促をするので私はよくよく困つてしまひました。仕方がないから社の社長の白石さんを尋ねて何とかして下さいませんかと頼みましたが、白石さんはぷんぷん怒つてゐて、てんで取り合つてくれませんでした。尤も石川さんが夜だちをする二日ほど前に
『「これから郷里の岩手へ行つて金をこしらへて来る。」といつてゐましたが、そんなことはあてにならないとは思つてゐましたが、さうでもしてくれればいいがとせめてもの心頼みにもしてゐたのです。けれどもここをたつてからは一度の音信もありませんから、釧路のことも、私のことも、もう忘れてしまつたのだと思はれます。』
と話して小奴は泪をさへうかべてゐました。私は小奴が気の毒になつたので、
『私が東京へ帰つたら、石川に早速話して石川を慕つてゐる君の心をよく伝へるから。』と慰めの言葉を残して旅館に帰つて来た。
その後東京へ帰つてから、東京朝日新聞社に石川を尋ねて小奴の話を伝へると、石川はきまり悪さうに笑ひにまぎらして何とも答へなかつた。同じその晩石川と銀座のそばやで一杯やりながら再び小奴のことを話しだすと石川も感慨無量の面もちでうなだれてしまつたので、もうそれ以上私は石川に小奴の話をする勇気がなくなつてしまつた。そしてその後幾度か石川には逢つてもついその話はせずにしまつた。
それから余程経つた後であつた。小奴にそのうち石川と一緒に釧路へ君を尋ねるといふ葉書を出したことがあつたが、小奴からは何の返事もなく、石川も他界してしまつたので、時折歌集を繙く度に小奴の名の出てくるのをみると、釧路の夕を思ひ出しては芸者小奴は今、どうしてゐるかといふことを考へるのであつた。
○
その後大正十年の春、私が奈良市へ講演に行つて四季亭へ泊つた時、どうした話のはずみだつたか四季亭の女中が、あなたを知つてゐる坂本さんといふ女の方が京都にをりますよと私にいふのである。その女中は何でも京都の生れであつたやうに思はれた。私は坂本といふ婦人はいくら考へても思ひ出せなかつたので女中にだんだん聞いてみると、その坂本といふ婦人こそ、釧路の芸者小奴であつた。小奴の本姓は坂本といふのであつた。
その女中の話しによると、小奴の坂本はその当時京都のある呉服屋の支配人の妻君になつて京都に住んでゐたのであつた。釧路と京都とはどんな事情で小奴が今京都にゐるかは知らないが、不思議な感がしてならなかつた。
大正十年といへば今から七八年前のことであるから、今も小奴は京都にゐるかも知れない。
そのころ無名の詩人であつた石川、今の石川の名声と思ひ合はせて考へた時、小奴はたしかに感慨深いものがあるであらう。
私も機会があつたら、もう一度小奴に会つて石川の話もしてみたいやうな気もするが単に京都とばかりでは、京都の
○
石川は人も知る如く、その一生は貧苦と戦つて来て、ちよつとの落付いた心もなく一生を終つてしまつたが、私の考へでは釧路時代が石川の一生を通じて一番呑気であつたやうに思はれる。それといふのも相手の小奴が石川の詩才に敬慕して出来るだけの真情を尽してくれたからである。かうした石川の半面を私が
妻子がありながら、しかも相愛の妻がありながら、しかもその妻子までも忘れて、流れの女と恋をすることの出来たゆとりのある心こそ詩人の心であつて、石川の作品が常に単純でしかも熱情ゆたかなのも、皆恋する事の出来る焔が絶えず心の底に燃えてゐたから、それがその作品に現れてきてゐるので、もし石川にかうした心の焔がなかつたならば、その作品は
いはば石川の釧路時代は、石川の一生中一番興味ある時代で、そこに限りなき潤ひを私は石川の上に感ずるのである。
このことを石川が地下で聞いたならば苦笑をもらすか、微笑をもらすか、石川のことであるから多分苦笑をもらし乍ら煙草を輪に吹いてだまつてゐるだらうとそれが私の目に見ゆるやうに感じられてくる。
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No. | 作品名 副題 | 文字遣い種別 | 著者名 | 著者基本名 | 翻訳者名等 |
201 | 薪能と呪師走の翁 | 新字旧仮名 | 折口 信夫 | ||
202 | 滝口入道 | 旧字旧仮名 | 高山 樗牛 | ||
203 | 田木繁に | 新字新仮名 | 槙村 浩 | ||
204 | 滝しぶき | 新字新仮名 | 吉野 秀雄 | ||
205 | 滝田哲太郎君 | 新字新仮名 | 芥川 竜之介 | ||
206 | 滝田哲太郎氏 | 新字新仮名 | 芥川 竜之介 | ||
207 | 滝について | 新字新仮名 | 尾崎 士郎 | ||
208 | 滝のある村 | 新字旧仮名 | 牧野 信一 | ||
209 | 滝野川貧寒 | 新字旧仮名 | 正岡 容 | ||
210 | たき火 | 新字新仮名 | 国木田 独歩 | ||
211 | 滝見の旅 | 新字新仮名 | 伊藤 左千夫 | ||
212 | 抱茗荷の説 | 新字新仮名 | 山本 禾太郎 | ||
213 | 沢庵 | 新字新仮名 | 北大路 魯山人 | ||
214 | 托児所のある村 | 新字新仮名 | 小川 未明 | ||
215 | 託児所をつくれ | 新字旧仮名 | 小熊 秀雄 | ||
216 | 卓上演説 | 新字旧仮名 | 牧野 信一 | ||
217 | 卓上語 | 新字旧仮名 | 田山 花袋 田山 録弥 | 田山花袋 | |
218 | 宅地 | 新字旧仮名 | 宮沢 賢治 | ||
219 | 田口竹男君のこと | 新字旧仮名 | 岸田 国士 | ||
220 | 啄木と賢治 | 新字新仮名 | 高村 光太郎 | ||
221 | 啄木とデカルト命題 | 新字新仮名 | 三枝 博音 | ||
222 | 拓本の話 | 旧字旧仮名 | 会津 八一 | ||
223 | 竹 | 新字新仮名 | 宮本 百合子 | ||
224 | 竹 | 旧字旧仮名 | 萩原 朔太郎 | ||
225 | 竹馬の太郎 | 新字新仮名 | 小川 未明 | ||
226 | たけくらべ | 新字旧仮名 | 樋口 一葉 | ||
227 | たけくらべ | 旧字旧仮名 | 樋口 一葉 | ||
228 | たけくらべ | 旧字旧仮名 | 樋口 一葉 | ||
229 | 他計甚麽(竹島)雑誌 | 旧字旧仮名 | 松浦 武四郎 | ||
230 | 武田麟太郎追悼 | 新字新仮名 | 織田 作之助 | ||
231 | 武ちゃんと昔話 | 新字新仮名 | 小川 未明 | ||
232 | 竹取物語 | 旧字旧仮名 | 和田 万吉 | ||
233 | 竹の木戸 | 新字新仮名 | 国木田 独歩 | ||
234 | たけのこ | 新字新仮名 | 新美 南吉 | ||
235 | タケノコ | 旧字旧仮名 | 新美 南吉 | ||
236 | 筍の美味さは第一席 | 新字新仮名 | 北大路 魯山人 | ||
237 | 竹の里人 一 | 旧字旧仮名 | 伊藤 左千夫 | ||
238 | 竹の里人〔一〕 | 旧字旧仮名 | 長塚 節 | ||
239 | 竹の里人〔三〕 | 旧字旧仮名 | 長塚 節 | ||
240 | 竹の里人〔二〕 | 旧字旧仮名 | 長塚 節 | ||
241 | 竹の根の先を掘るひと | 旧字旧仮名 | 萩原 朔太郎 | ||
242 | 竹本綾之助 | 新字新仮名 | 長谷川 時雨 | ||
243 | 竹藪の家 | 新字旧仮名 | 坂口 安吾 | ||
244 | 茸をたずねる | 新字新仮名 | 飯田 蛇笏 | ||
245 | 「蛸壺」の句 | 新字新仮名 | 中谷 宇吉郎 | ||
246 | 章魚人夫 | 新字新仮名 | 広海 大治 | ||
247 | 章魚の足 | 新字新仮名 | 夢野 久作 海若 藍平 | 夢野久作 | |
248 | 章魚木の下で | 新字新仮名 | 中島 敦 | ||
249 | 蛸の如きもの | 新字新仮名 | 豊島 与志雄 | ||
250 | 凧の話 | 新字新仮名 | 淡島 寒月 |
前の50件 | 啄木と賢治高村光太郎○岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て住んでみるとだんだんよく分ってきました。此の地方の人の性格は多く誠実で、何だか大きな山のような感じがします。為ることはのろいようですが、しかし確かです。天然の産物にも恵まれていて、今にこれがみんな世の中に利用されるようになったら、岩手県は日本の宝の蔵になるでしょう。 ○人物にも時々たいへんすぐれた人が出ています。文芸方面でいえば、石川啄木、宮澤賢治などという詩人が出たことは、もう皆さんも知っていることでしょう。啄木の歌や、賢治の詩は学校の教科書にものっていたと思います。「雨ニモマケズ」という賢治の詩などは、思いがけぬほど多くの人に暗記されています。 ○石川啄木は明治十八年に生れてたった二十七歳で死んだ詩人ですが、死んだ後になってますます世の中の人に其の詩や歌や小説を読まれ、終戦後にも時代の考え方に大きな力を与え、たいへん一般の人に好かれ、今では啄木を主人公にした映画がいくつも競争で作られるほどになりました。 ○啄木は岩手県岩手郡の玉山村という小さな村に生れ、隣の渋民村の学校で勉強しました。少年の頃から大いに勉強して、十八歳頃から長い詩を書き、二十歳の時一冊の詩集を出した位ですが、それからの七年間東京に出たり、北海道へ行ったり、生活の為にずいぶん苦しみ通して、社会と個人生活との関係について深く考え、ついに世の中にさきがけて社会主義と自由思想との真理をつかみました。歌の多くはそういう思想から自然と出て来る切ないほどの思いに満たされていて、それをよむと誰でも、本当だなあ、と感ぜずにいられないほど身にしみる力を持っています。日本古来の不自由な和歌というものを啄木はまるで新らしい自由なものにしてしまいました。 働けど働けどわが暮しらくにならざりじつと手を見る やはらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに などという歌でも、よんでいるといつのまにか強く心が動かされてくるでしょう。 ○もう一人の大詩人宮澤賢治は稗貫郡花巻町に明治二十九年に生れ、この人もたった三十八歳で死にましたが、その為しとげた仕事の立派さは驚くばかりです。此の詩人の詩や童話は実にたくさんあり、どれをよんでみても心が清められ、高められ、美しくされないものはありません。非常に宗教心にあつく、 ○啄木といい、賢治といい、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。 作家別作品リスト:No.153
公開中の作品
作業中の作品→作業中 作家別作品一覧:石川 啄木
関連サイト●作家リスト:公開中 [あ] [か] [さ] [た] [な] [は] [ま] [や] [ら] [わ] [他] ●作家リスト:作業中 [あ] [か] [さ] [た] [な] [は] [ま] [や] [ら] [わ] [他] ●作家リスト:全 [あ] [か] [さ] [た] [な] [は] [ま] [や] [ら] [わ] [他] ●トップ ●インデックス/全 底本:「昭和文学全集第4巻」小学館 1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行 1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2006年11月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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収録作品数:16938(著作権なし:16568、著作権あり:370)
←リンクの際にご利用ください。リンクは自由です。
このページのお問い合わせは、info@aozora.gr.jpまでお願いいたします。
1986(昭和61)年9月25日第1版第1刷発行
底本の親本:「週間朝日」
1929(昭和4)年12月8日
初出:「週間朝日」
1929(昭和4)年12月8日
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年11月24日作成
2016年2月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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